懐かしく新しい、まち(1つ目の物語) -honowa 12の物語-
水上ビル(豊橋市)
水上ビル-今日を生きるということ。―
「このビルはあと20年は生き延びます。」
水上ビルの3つの建物のうちの1つ、大豊ビルの理事長を務める黒野さんは宣言した。
築50年を迎えた2015年のことである。
コンクリート建築は50年もたてば、そろそろ寿命かな…という一般的なイメージに
建築家としての見識を根拠に真っ向から立ち向かったのである。
当時の水上ビルは空き店舗が多く、多分に漏れず、地方の商店街衰退を象徴していた。
黒野さんは誰もが「時代の流れ」と諦めていた雰囲気の中、前に進む。
かねてより念願だったアンティーク蚤の市を実施すべく、人々の間を奔走した。
在るもの(空き店舗)を活用し、人と人をつなぐ試みは
「雨の日商店街」として実を結ぶ。
1つ成功すると、また1つ参加者が増えていく。
お客様とお店の人と、そして店舗を貸す「大家さん」も巻き込んで、
その輪が広がっていく。
「店を閉めていることが申し訳ない」
責任感の強さからか、苦しんでいた元店主の心も軽くなっていく黒野さんの試みは
やがて希望に満ちた若者たちを惹きつけ、
今ではほとんど空き店舗がなくなった。
水上ビルは再起動した。
やがて来る水上ビルの終わり。
避けては通れない、その地点をどう考えているのか。
盛り上がる水上ビルに冷や水をかけるようで口に出すのをためらったが
私は失礼を承知の上で、黒野さんの気持ちを探った。
終わりを見ないようにするのではなく、
時限をきって、どうしていくのかを市と話していく。
2015年の時のように空き店舗ばかりだった時とくらべて
ポジティブな選択肢が増えてくる。
終わりがあるから今を懸命に生きる。
黒野さんをはじめ、店舗を営む人々には迷いや悲壮感などない。
皆、堂々と、今日という日を楽しんで真剣に生きている。
これは決して豊橋のイチ商店街だけの話ではない。
すべての地方都市のシャッター街といわれる商店街に通じる成功物語ではないだろうか?
東三河、愛知、近くに住む人々はもちろん
日本中の人にこの水上ビルの「今」を体験してほしい。
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