先人の宝 -honowa 12の物語-
四谷の千枚田(新城市)
千枚田-先人の宝を守る物語―
山の湧き水が沢を下る際に田に引水され、
さらに沢を下り、次の田へ引水される。
千枚田の「千枚」とは「小さな田んぼが階段状にたくさん」の意味で
「棚田」とは階段状に造られた水田で、傾斜度1/20以上のものをいう。
四谷の千枚田は傾斜度1/6である。
平坦な土地と比べて効率も良くないし、
行くのも帰るのも大変な苦難が伴ったことは想像に難くない。
昔の俵は一俵60kg。
それを人力で傾斜を運搬していたことになる。
四谷の千枚田は少なくとも400年前には、すでに存在していたという。
何百年、何代にもわたり守り続けてきた。
しかし、日本のコメ余り対策として昭和46年から5年間、
毎年2割の減反施策が施行され、耕作面積(枚数)が減少、
また高度成長も減少に拍車を駆け、
1300ほどあった田も400ほどに減反されている。
鞍掛山麓千枚田保存会の小山舜二さん
愛知県水産試験場で研究をしていた小山さんは50歳の誕生日に
孔子の「50にして天命を知る」を格言の通り、
四谷の千枚田を地域の宝として保存活動を始動。
以来30年以上に渡り千枚田を守ってきた。
急傾斜地に石積の棚田を築いた先人の労苦を想い、
「先人の偉大な財産」として「守ろう」という意識が
沸きあがったのがきっかけと話す。
時が経て、高度経済成長になり
エネルギーを浪費し、自然環境への配慮も薄かった時代が来た。
その逆境の時代にも負けず、守り続けてきた千枚田。
その風景は当たり前にあったものではなく、
多くの人々の想いによって紡がれている。
千枚田のこれから
四谷の千枚田は、基本的に農業の生産の場であり、生活の一部でもある。
自販機もなく、観光地に位置付けられているわけでもないが、
四季折々、あまりにもすばらしい景観ゆえ、
都市近郊から「憩い・癒し」を求め、大勢の人々が訪れる。
多様性に富んだ訪れる人々を、千枚田は拒まないが、
最低限のマナーは守ったうえで
これからもその美しい景観を見ていたいと思う。
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